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空中パフォーマンス『YA!』 前売りチケット販売中!

2016年06月15日


瀬戸内サーカスファクトリーの『日仏共同創作公演 空中パフォーマンス 「YA!」』。

舞台はなんと、あの屋島!


ここ香川で「現代サーカス」の発信をしている『瀬戸内サーカスファクトリー』。

まだまだ私たちには耳馴染みのない「現代サーカス」。

フランスで70年代に生まれた、演劇、ダンス、美術など、あらゆるアートを取り入れ、
鍛えられた体で表現する、新しい芸術ジャンルだそうです。

カナダの「シルク・ド・ソレイユ」も現代サーカス劇団だそうで、
この名前を聞くと何となく現代サーカスがどのようなものか想像できるかもしれませんね。



今回 瀬戸内サーカスファクトリーが手掛けるのが
『日仏共同創作公演 空中パフォーマンス「YA!」』です。

空中パフォーマンス創作公演は瀬戸内サーカスファクトリー初だそうです。


演出を手掛けるのは、現代サーカス界で伝説となった
空中ブランコ集団「レザッソ」の元メンバーで、
解散後に「シルク・ヴォスト」を旗揚げしたブノワ・ベルヴィル氏。

なんと、屋島でのパフォーマンスのために、現代サーカス発祥の地・フランスから来日し、
滞在しながら制作するそうです!

彼と一緒に制作・発表するのはサカトモコさん、谷川育子さん、あんこさんという
3人の日本人アーティストたち。


現代サーカスとは? 空中パフォーマンスって? 屋島でどうやってするの?

想像できそうで想像できない、でもとてもワクワクしますね。


日仏共同創作公演 空中パフォーマンス 「YA!」

開催日時: 2016年 7月2日(土)/ 7月3日(日) 17:30~(開場30分前)
開催場所: 屋島山上県木園(香川県高松市)
前売り : 一般3,500円 / 高校生以下1,500円
     ※当日入場は各500円増し
     ※未就学児無料

◆アーキペラゴでは前売りチケットを販売しています。
 ご希望の方はご連絡ください。
 TEL:087-813-1001|FAX:087-813-1002|Mail:info@archipelago.or.jp 


瀬戸内サーカスファクトリー公式サイト: http://www.setouchicircusfactory.com



『川島猛とドリームフレンズ』 川島先生のお話 <渡米~現在>

2016年06月09日

川島猛少年が青年になり、東京に行くまでを先にご紹介しましたが、
今回はその続き、渡米してからのお話です。


1959年10月、33歳で渡米。
アメリカが美術界でパリを追い越して世界をリードしていたころ。
NYの影響を受けないよう、いろいろ観て回る前にたくさん絵を描いたそうです。

この頃描いたのが『Red and Black』。
2x3mのキャンバスを格子でしきり、一つ一つの枠の中に異なるエロティックで有機的なフォルムが描かれています。日本の紋章を思い起こす絵はNYの画壇で一躍注目されることに。

川島先生は「紋章」というつもりはなく、次々できる団地の同じように見える窓の奥にそれぞれのドラマがあるだろう、と思ってできたそうです。


MoMAに永久保存されたレッド&ブラック


1965年、35歳。NY近代美術館(MoMA)の展覧会『The New Japanese Painting and Sculpture』に展示。
『Red and Black』がパーマネントコレクション(永久所蔵品)となります。


1967年、37歳で57丁目のワーデル・ギャラリーで最初の個展を開催。


1971年、41歳。
渡米後初の回顧展を香川県文化会館、南天子画廊、ピナール画廊で開催。
母校の高松工芸高等学校で講演会を実施。


1972年、42歳。順子さんと結婚。
この頃から『Red and Black』シリーズとは異なり、淡い色やさまざまな色を使うようになったそうです。


1979年、49歳。
ワールドトレードセンターでNY在住の日本人と日系人の現代アーティストたちの展覧会『WINDOWS ON THE EAST』を開催。
発表作品は『Blue and White』。


その後、1980年代のDream Landへ続きます。
「自分は今を生きるアーティストだから現実の楽園を描きたい」と始まったDream Land。
青色を基調にしつつも、さまざまな色やタッチ、木の板、切片、石などの素材を用いた作品や、石の彫刻を制作していたそうです。


N.Y SOHOのファサード


2001年9月11日、71歳。
9.11で近代文明を象徴するかのような建物が崩れ落ちました。
ワールドトレードセンターの近くに住んでいて、散歩コースでもあったそうです。

川島先生も順子さんもしばらく何も考えられない日々が続き、川島先生は絵を描くことも、外に出ることもできず。翌年に香川で展覧会をすることが決まっていたけど9.11の衝撃で作品ができない川島先生は家に会った材木で毎日本棚を作っていたそうです。

またロール紙に向かい出したものの、大きな筆で一気に大胆に、いろんな色を使って描いていたそれまでの絵に比べ、墨だけで小さいものをたくさん描くようになったそうです。
それはまるで落ちてくる人のようにも見えたとか。


半年ほどそんな状態が続き、少しずつ元気が出てきた2002年3月ごろ。
展覧会のための絵を描き始めました。かつてのアシスタントにもNYに来てもらい、数ヶ月で40点以上の作品を作り上げたそうです。


「現実の楽園を描きたい」と書き始めたDream Landが崩壊し、いきなり変わってしまった。いつ何が起こるかわからない。たしかなものはなく常に変わっていくものなのだ。

そこで出てきた言葉が『千変万化-万華-KALEIDOSCOPE』だったそうです。

何の説明もしなかった墨一色で描いたロール紙を見て涙する人がいたそうです。
このロール紙が『KALEIDOSCOPE』の始まりだったようです。


N.Y SOHOのアトリエで制作中の作品_2014年1月


日本での展示が終わり、NYへ戻った川島先生がアトリエにこもって描き始めたのが
『KALEIDOSCOPE Black and White』。

今年2月の帰国前日の夜まで描いていたそうです。

これまでさまざまな表現方法でマテリアルにもこだわり、大作を制作してきた川島先生でしたが、四方1m足らずの白い紙に黒いマーカーで描きました。

表現も素材も複雑なものをそぎ落とした黒と白の世界。
有機的なフォルムが多様に交差し、無限に広がっています。


2016年3月男木島制作中


2016年2月8日。86歳の川島先生は50年以上のNY生活を終え、故郷香川に戻ってきました。

瀬戸内国際芸術祭2016の展示は、川島先生が2003年から13年間NYで描いた370点の『KALEIDOSCOPE』を異なったマテリアルに実物大でプリントし、家中に張り巡らせました。
そこに川島先生が新たに描き加え、仕上げていきました。
中央に展示している8枚のパネルはNYで描いた直筆のものです。


男木島会場内


「瀬戸内国際芸術祭に参加し、
 男木島を再び訪れたことで、
 青春時代、島々を歩き、
 多くの絵を描いたことを思い出しました。
 瀬戸内海の美しさに、改めて心を動かされ、
 故郷へ戻ることを決意。
 今年2月8日、高松へ戻ってきました。

 川島 猛」


『砂じいの郷』 準備中

2016年05月27日


豊島ゼミでも講師をしていただいていた砂川さんの田んぼ、畑、お家で
今年4月から移住した田尾さんが『砂じいの郷』プロジェクトの準備を始めました!

本格稼働までは田尾さんの準備の様子をご紹介します。


今、豊島では夏みかんがたくさん成っているそうで、
田尾さんお手製のマーマレードをいただきました!
ちょっと苦み、ちょっと酸味、控えめな甘さでとても美味しかったー。



そして先日は籾を直播したそうです。

モミヲジカマキ、、、?

水田にある程度育った苗を植える、という田植えを経験した方は多いと思いますが、
田尾さんは苗になる前の籾(モミ)、いわば『種』を直接田んぼにまいて育てるそうです。




『砂じいの郷』には田尾さんのかわいい娘さんたちもいます。
左の茶色がななみちゃん、10ヶ月。右の白いのがさゆりちゃん、3ヶ月。
同じお母さんから生まれた姉妹だそうです。

このかわいい姉妹にも是非会いに行きたいですね~♪



最後に。「さすが姉妹!」と思わせるナイスショットを。



田尾さんの『砂じいの郷』情報だけでなく、
ななみちゃん&さゆりちゃん情報もご紹介します。

お楽しみに♪


『川島猛とドリームフレンズ』 川島先生のお話 <少年期~東京に行くまで>

2016年05月25日

瀬戸内国際芸術祭2016の春会期が終わり、あと2ヶ月ほどで夏会期が始まります。
男木島で『KALEIDOSCOPE Black and White』という作品を展示している川島猛先生のお話のご紹介。

お伝えしたいことが盛りだくさんで上手くまとまらないので
<少年期~東京に行くまで>と<渡米~現在>に分けてご紹介します。


2016年3月男木島にて撮影


1930年1月、川島猛先生は香川県高松市で農家の長男として生まれました。今年、86歳。

小学校の頃から絵が上手で絵描きになりた川島先生。
 「絵を描くように、熱心に勉強すれば成績があがりますよ」
という担任の先生の一言で、お父様が絵を描かせてくれなくなったそうです。それでも隠れて描いていた絵が見つかって、お風呂を沸かすのに使われたので、そのころの絵は残っていないとか。


1943年、13歳で香川県立高松工業学校(現香川県立高松工芸高等学校)の航空機科に入学。
終戦の翌年、1946年に航空機科が廃止。機械科へ。
航空機科と機械科でデバイダーやコンパスを使っていたから今みたいな絵になったのかも、という川島先生。人の命に関わる飛行機の設計をしていたこともあり、ひらめきや思いつきで絵を描くことができないそうです。

卒業後はあらゆる技術を身に付けるためにいろんなことをしたり、山田等絵画研究所に通ってヌードデッサンを戦いのように描いたり、上京するために瀬戸内海を始め屋島・五剣山・八栗の絵を描いていたそうです。


1951年、21歳で上京。
絵を描くことに一番燃えていた時代。人が大好きな川島先生は待ちで見かける人物の絵をたくさん描いたそうです。工芸の校長だった小倉右一郎先生の『小倉アトリエ』に下宿したり憧れだった猪熊源一郎先生にもかわいがってもらっていた頃です。

1954年、24歳で武蔵野美術専門学校油絵科に入学。
1955年、25歳の時には高松三越ギャラリーで個展開催。
このころから、絵を描くことに大反対だったお父様も応援してくれるようになったそうです。

1956年、26歳で武蔵野美術専門学校を辞めて人体専門代々木絵画研究所へ入所。
ここは裸婦の研究所で、研究員兼用務員として入られました。
ごつっとして定規で描けるような男の人ではなく、ものすごく変化のある女の人の体の方が勉強になるから裸婦を描いていたそうです。

1959年、29歳。お父様の支援で三鷹市に『三鷹台アトリエ』を開設。
「絵を描きたくて描きたくて、発表したあと作品をおいておくと描く場所がなくなるから全部捨てていた」というほどだったそうです。



ここまでが渡米までのお話。


Archipelago Tour 始めます

2016年05月23日


香川・せとうちのオモシロいことを集めた『Archipelago Tour』を始めます。


ツアー第1弾メニューはカタマランヨットクルージング体験ツアー。
まずは朝、昼、サンセットの3メニューを準備しました。


5月18日(水)にはサンセットのデモクルーズを実施。

ドリンク(ビール!!)、市内で人気のパン屋さんの美味しいパン、有名かまぼこ店のかまぼこ、近くのスーパーで入手した郷土料理のお惣菜を持ち込んで18時に出発!

出発する時はまだまだ明るかったです。



マリーナを出てしばらく進むと、西の方にはオレンジ色の太陽が傾き始めました。

みんなでヨットのフロントに行って、写真を撮ったり、目がおかしくなるほど太陽を眺め、
ワイワイ大騒ぎ。



中山キャプテンもヨットを停めて、みんなのところへ。

そろそろサワラ漁が始まるよとか、地引網の漁師さんも出てくるよとか、
海の話をたくさんしてくれました。


そうこうしている間に、太陽はどんどん西に傾きはじめ、
大槌・小槌の方に沈み始めました。



もうこの頃になるとみんな無言。

みるみる沈む夕日をじっと見つめ、沈み切ったときには拍手が起こるほどでした。



写真で見るより何百倍も素晴らしい夕陽を見ることができました。

そんなツアーに是非参加してみませんか?