スタッフブログ

ホーム ›  スタッフブログ

スタッフブログ

川島猛とドリームフレンズの学校

2010年09月01日

100904saito ws.jpg
瀬戸内国際芸術祭2010公式プロジェクト「川島猛とドリームフレンズの学校」の企画・運営をアーキペラゴで行っています。 川島猛とドリームフレンズの学校は、先生と生徒が一緒に考える小さな学校です。川島猛さんの友人たちには多彩で面白い専門家が多く、その方たちに先生になっていただき「多島海に学び、未来を考える」ということで行っているもの。とはいえ難しいお話は特になく、まずは、男木島へ渡ってもらい、そこでの体験を通して自分なりに何かを感じてもらおうというものです。

これまで開催された様子は、こちらをご覧ください。

◎田中勝二さんのピンホールワークショップ

◎さとうゆうじさんの瀬戸内露天風呂プロジェクト

そして、今週末4日(土)5日(日)にも開催されます。

この機会に、お気軽に男木島へおこしください。


9月4日(土)は 【男木交流館の秘話】

 男木島に着いたら目に飛び込んでくる白い建物。瀬戸内国際芸術祭参加作品No43ジャウメ・プレンサ氏の「男木島の魂」は、男木島を訪れる方々にとって、なくてはならない場所になっています。今年の春から始まった工事、完成するまでには数々のエピソードが生まれました。建築を担当された齊藤正さんに、語っていただきます。
●日 時/9月4日(土) 
     ?11時00分〜 ?13時00分〜 (各会20分程度)      
●先生: 建築家 齊藤正さん 
●場 所/男木島交流館正面入口前(作品 No.43) 
●参加費/無料 
●参加数/15名程度 
●申 込/開始5分前に会場へお集まりください。


inoue katuyosi100905.jpg  9月5日(日)は、「小豆島とみかんの話」
 男木島の北東の位置する小豆島。男木島の約 100 倍の面積があり、瀬戸内海で最高峰を誇る星ヶ城山をはじめ、緑で覆われた山がいくつもあります。小豆島で3代にわたり、みかんとオリーブの農園を営む井上誠耕園2代目の井上勝由さん。今回はわざわざ小豆島から男木島へ渡って来て頂きました。勝由お父さんに聞く小豆島やみかんのお話には愛情がたっぷりと詰まっていて、だんだんと温かいもので満たされていきます。どうぞ、男木島のドリームカフェで、小豆島とみかんの話をお楽しみください。
●日 時/9月5日(土)  13時30分〜14時      
●先生: 井上誠耕園2代目 井上勝由さん 
●会 場/作品No.46川島猛とドリームフレンズ 
●参加費/無料 
●参加数/15名程度 
●申 込/開始5分前に会場へお集まりください。

【Rrport】多島海ツーリズム 大島

2009年12月16日

image024.png
多島海ツーリズム「大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」に参加しました。

先生は、中央、紫紺色のジャケット着用の山本隆久さん。76歳です。陶芸を始めて10年になります。独学で陶芸のことを学ばれ、わざわざ、美濃焼や瀬戸焼きの窯元にも見学に行かれたこともあるのですって。
  image001.png 

 まずは、前回、大島を訪問した時に作った器の釜だしです。どんな器になっていることやら。 
image003.png

 こちらは、やさしい美術アートディレクターの高橋さんがつくった壷。いい味出てますね。 
image005.png

そして、こちらが山本さんが焼いたお皿。渋いです。料理が映えそう。
image007.png

 続いて、大島の土探し〜土づくりについて教えていただきます。
image009.png
陶芸というと、ろくろを巧みに操りカタチを作り上げていく過程が目に浮かびますが、実は、ここに至るまでの過程のほうが遥かに大変な作業となります。 非常に重労働でもあることから、山本さんも最近では、土を購入することが多くなっていたようです。 

けれども瀬戸内国際芸術祭「やさしい美術プロジェクト」で、島の方たちと一緒にカフェ&ギャラリーをつくることになり、折角なので大島の土でつくった器や内装の中でお茶を楽しんでもらおうということで大島の土作りが久しぶりに復活したのです。 

image011.png
「やさしい美術」の井木さんが、今年の夏前から始まった土作りの様子を紹介してくれました。 井木さん、実は絵本作家でもあり、ご自分の作家活動を続けながら、高橋さんとともに名古屋から大島へ通ってきて「やさしい美術プロジェクト」を進められています。 

この日の午前中は、島の野菜づくりの名人の畑で、草抜きの手伝いをされていたそうです。御礼に瑞々しい野菜をたくさん頂いたそうで、夕食は野菜がたっぷり入ったお鍋にしようと、こちらにまで美味しさが伝わってくるような幸せそうな笑顔で答えてくれます。芸術祭では、大島で穫れた食材を出して、来訪された人に楽しんでもらうことができたらな、とも考えているようで、丁寧でやさしい対応ができるカフェにしたいと話してくださいました。 
image013.png
 (大島の野菜畑。海を見ながの畑仕事、風が気持ち良さそうです。) 

以前、アートディレクターの高橋さんになぜカフェをつくろうと考えられたのかお聞きしたら、2年ほど大島に通う中、島の人と人が交流できる場所がもっとあったらいいなと感じた。そして、芸術祭で来訪された方が作品を見るだけではなく、大島の方と交流できる場所もほしいと思ったら、自然にカフェ&ギャラリーのイメージが浮かんできたそうです。 やさしい美術の方たちと大島の方たちが考えるカフェ&ギャラリー。ここ大島でしか味わうことができない場所になりそうで今から楽しみです。 


今回の名人講座では、当初、カフェの内装に使うタイルをつくろうという企画だったのですが、折角なのでカフェオレボールを作りましょう。ということになりました。
image015.png
嬉しいけれど、いきなり、できるのかしら??と少々不安におもいつつ、まずは、山本さんから土台作りを教わります。この作業がきっちり出来ていないと後々面倒なことになります。

image017.png
私が土台づくりをしている間に、一緒に参加した方はどんどん器のカタチに仕上がっていきます。
 
image019.png
その見事な手作業に、山本さんも感心されていました。 私といえば、表面を滑らかにしようと水をつけすぎてしまい、カフェオレボールにはならずお皿にするのも難しい状況に。みかねた山本さんが、こういう場合の奥の手を出してきて下さって、なんとかカタチを整えてくださいました。 

image021.png
スムーズに作業が進んでいる時は見守り、何かトラブルがあると、これまでの経験から様々な対処方法で解決してくれる山本さん。さすがに大島のこどもたちが名人と呼んだのも頷けますね。

image023.png
 今回の作業はサインを入れて終了。 しばらく乾かして来月素焼きを行います。 その時は、また、お邪魔させていただきますので、山本さん、井木さんご指導よろしくお願いします。

image026.png
 港で見送ってくださったやさしい美術の皆さま、そして大島の皆さま素敵な時間をありがとうございました。

【Report】多島海ツーリズム豊島・小豊島

2009年11月30日

00.jpg
瀬戸内の多島海は、11月でもあたたかい。雨雲が風に流され、日差しが海面を照らせば、陸地の姿が見えてくる。左に見えるのは小豊島(おでしま)、右に見えるのは豊島(てしま)、遠く真ん中に見えるのは屋島(やしま)だ。屋島の麓に開けた港・高松から船に乗り、僕らの旅が始まる。

01.jpg
今回の旅の水先案内人は、地元高松で革新的な活動を続ける栗生さん。島々を渡り歩くなか豊島と出会い、豊島に恋をした彼女は、今、豊島に毎週通う。多島海と恋をする彼女から旅のガイダンスを受けた後、乗船。最初に向かうのは小豊島、高松からの定期航路はない。豊島フェリーさんが用意下さったチャーター船での渡航となった。

02.jpg
小豊島は、牛の島だ。島の人口の何倍もの頭数の肉牛を飼い、生計を立てて来た人々が暮らしている。島に牛を運び、暮らしを支えて来たのが舟だ。すこし前まで、舟は木で出来ていた。木を加工し、舟を造ってきた舟大工の夫婦が、この島に暮らしている。出迎えてくれた奥さんに案内いただきながら、小さな集落を歩く。軒先の様子から、シンプルで無駄のない、きれいな暮らしがあることがわかる。廃校脇の公民館で、僕らはとびっきりの昼食と、あたたかいお茶をいただいた。

03.jpg
舟大工の竹内さん、85歳。木の舟を造って来た船小屋も、作業台も、イスも、全て木で出来ていた。ザクロが揺れる工房で、僕らは寡黙な竹内さんが少しずつ語る言葉に耳を傾ける。先代と作った舟の話、木に替わった新素材の話、そして舟の守り神「舟魂さん(ふなだまさん)」話。目の前で舟魂さんを造る竹内さんは無口のままだけど、作業は確実だった。「イッテンチロク、ミヨシミアワセ、トモシアワセ・・・」呪文のようにつぶやきながら、丁寧に舟魂さんを仕上げる。その言葉の意味は何ですかと問えば、「無理すんなってこっちゃ。無理しなきゃ、みんなが幸せってこっちゃ。」と、竹内さん。「お父さんは、ごそごそ仕事するのが好きなん。」と、奥さん。船小屋の中にある使い込まれた道具たちは、出番を待っているように見えた。庭先には、息子さんが採って来たという大きな貝の貝殻が、誇らしげに干してあった。

04.jpg
豊島に渡った僕らは、栗生さんが港に開いたバール「HITAKI」へ。イチゴ屋さん!と親しまれる島一番のイタリアンシェフがパスタを作ってくれた。小豊島帰りの腹ぺこな僕ら、その目の前に島のオリーブが贅沢に使われた柚子の香りのペペロンチーノ。競うように箸を延ばし、うまいうまいと食べる。冷えたワインが有り難かった。食事の後、ストーブを囲むように皆でイスを並べた部屋で、島の人を囲んで話し込む。島のお祭りの話、結婚の話、葬儀の話、おのろけ話もあったかな。餅つきの時に掛け合いで歌う「祝いの歌」が出てからは、歌合戦。島に伝わる「締めの歌」で、宴はひとたび幕を閉じた。また来たい、また会いたい。そう思ってしまう、この人のあたたかみは何だ。

05.jpg
旅は2日目、栗生さんの基地「ブワナアユ甲生(こう)別館」での朝。彼女の手料理で朝ご飯。ウニと椎茸のスープの味が忘れられない。支度を済ませ出発、皆で集落を散策、島の旧家「片山邸」へ。荘厳なお屋敷を拝見しながら、この島の歴史に意識が向かって行く。お茶をいただき、この島に似つかわしくないほどの細やかな造形に目をやりながら、かつてこの島を愛し、この島のために矢面に立った人の存在や、この家の主と住民との共同体の存在を感じずにはいられなかった。

06.jpg
片山邸を後にして、僕らは石井さんの車で豊島の最高峰・壇山に登った。石井さんは、この多島海では知らない人のいない革命家(だと僕は思っている)だが、現在はこの島で「ヤギとハナバタケ社」という観光案内会社を営んでいる。山頂からは、瀬戸内の多島海が箱庭のように見えた。ゆっくりと進む船の存在が、それが絵画ではないことを思い出る。1000年スケールで語られる島の歴史は、日本人の記憶とオーバーラップするようで、脳が揺れる。最高峰は水瓶の役割も果たし、豊かな森を育み、泉が湧き、作物をもたらした。この島は、長い間、生物にとって豊かな島であったのだろう。豊かな島と書いて豊島、ということか。

07.jpg
壇山から降りて、島のイートイン総菜屋「うらら」へ。「鴨を打って来たらしいから!」と、この日に猟師が射止めた島の鴨を大胆に調理した鴨鍋。雑魚を背開きにし、酢飯を詰めた豊島キュイジーヌ。島の猟師、漁師、ご近所さんとの不断のつながりが、この豊かな食卓に結実しているのだろう。気さくな奥さんがテンポよく料理を説明し、話はご夫婦の馴れ初めにまで。「お父さんがポケットに入れてくの。甘い物が好きだから・・・」大切な干し柿をいただきながら、僕らはまた、あたたかい気持ちになった。

08.jpg
そして僕らは、近代豊島の震源地へと向う。案内いただいたのは、廃棄物対策豊島住民会議の元議長の砂川さん。砂利道を走り、バスが到着したのは廃棄物投棄現場、現在は処理施設がある島の海岸だ。海を渡って島にもたらされた廃棄物、それとき合って来た島の人たちの半生がここにある。行政主導での処理が始まった今、砂川さんは一歩ひいて様子を見つめる。循環型社会実現に向けたモデル事業とまで謳う処理施設の広報ビデオのことは置いておき、今回僕が初めて知ったのは、施設を紹介してくれる県職員の方が、実は、かつての島の有志の娘さんだと言うことだ。かつて島と行政は争った。そして今、島を代表したメンバーの娘さんが、行政の施策の説明る。背景や立場を背負いながら、それでも中立的に説明する彼女に、僕はビックリした。そこに感じたのは、人間の持つ寛容性であり、歴史の持つ自己治癒力なのかもしれない。世代を超えて怒りや憎しみを持ち越さないことができた時、世界は少しだけ変化するのだろう。心の資料館に場所を移し、砂川さんの言葉を聞く。大きな白い紙には戦友たちの名前が刻まれ、黒い点に見えるは喪章だ。「次は自分の番だ。」という砂川さんは、とてもきれいな顔をしていた。「豊かなふる里、わが手で守る」と書かれたり紙と、イスに腰掛け、当時を語りながら震える砂川さんの手が、僕の中で静かに結びついた。彼らは、この島を守ろうとした。自分のためにではなく、未来の島民のために。 ふる里とは、つくるものだろう。

09.jpg
産廃投棄現場の隣にある静かな入り江、その海辺に建つヨットハーバー・アモーレ豊島リゾート、3日目の朝。隣の小豊島では、舟大工の竹内さんご夫婦が朝仕事を始めたかもしれない。隣の入り江では、今日も産廃処理施設が稼働する時間だろう。隣にある存在、そのまた隣にある存在。お互いがお互いの存在に配慮しながら、それぞれの思う最善を尽くしている世界が、ここにはあった。多島海というフィールド悠久の時間の流れの中で、人間の営みや自然との共生は、ごくごく自然に育まれ、侵した過ちや、それによって負った傷さえも治癒しながら、緩やかな関係性と共同性がつむがれ続けている。

知らなかったことを一つ知り、まだ知らないことがあることも知る。栗生さんたちに手を振り、僕らはまた、それぞれの旅に向かった。瀬戸内の多島海は、11月でもあたたかい。

(文責/イシクラ)


【Report】小豆島myオリーブ倶楽部 井上誠耕園のオリーブ収穫祭

2009年11月26日

0911olivesyuukaku2.jpg
10月25日、小豆島にある井上誠耕園のオリーブ収穫祭へ行ってきました。今年で3回目の参加となりますが、毎年楽しみにしているコトの一つです。

8:32、高松港を出発。あいにくの空模様です。が、空一面の雲を眺めるものいいものです。
0911kumori sora.jpg

フェリーで60分、海をゆっくり楽しんで小豆島池田港へ到着。
0911ikedaport.jpg
小さく見えるのは、池田を象徴するともいえる秋祭りのちょうさ。港の屋根になっています。

会場にはすでに大勢の方が集まっています。
0911kaizyo.jpg

早速、オリーブの収穫に畑へ向かいます。myオリーブ倶楽部のmyオリーブの樹は、素晴らしく見晴らしの良い場所に植えられていて畑からなだらかに海へと繋がる光景を一望できます。
0911hatakemiharasi.jpg

0911miharasi.jpg
手前は2代目が大切にしているみかん畑です。

myオリーブの樹は、すくすくと育ち、たわわに実ったオリーブの樹が迎えてくれます。
0911syuukaku.jpg
早速、収穫開始。井上誠耕園では、少しでも傷がつくのを防ぐために全て手摘みで収穫します。一粒一粒優しく摘んで、そっと籠に入れていきます。一本の樹全てを収穫するには、一日かかっても難しそう。一時間ほどお手伝いして、会場へと戻ります。
0911olive up.jpg

会場では、高松でケータリングレストランをしている中野シェフのオリーブをたっぷり使った料理が並んでいます。実は、中野シェフの料理が目的で参加している方も多いのです。私もその一人。高松でいただく中野シェフの料理も最高ですが、オリーブ収穫体験後、オリーブの樹に囲まれていただく料理は、ここでしか味わえないものです。
0911ryori2.jpg

0911ryouri3.jpg

飲み物もたっぷりと用意されています。中でもおすすめが、絞り立ての蜜柑ジュース。こちらもこの場でしか味わうことが出来ないものですね。
0911mikansyu-su.jpg

そして、さきほど収穫したばかりのオリーブをしぼったオリーブ油も頂くことができました。まさにフレッシュ。パンにつけて頂くと、いくらでもお腹の中に入ります。最高です。
0911oliveoil.jpg

0911pan.jpg

鈴木さんのパエリアも楽しみにしている一つです。
0911paeriahuraake.jpg

0911paeriup.jpg

井上誠耕園さんのオリーブ収穫祭、ここでしか味わえない体験が満載のイベントです。来年も楽しみです。
0911kannpai.jpg
右端が2代目。

お天気が心配されましたが、井上園主のお父さんの強い願いがかなってか、雨は落ちてこず、楽しい一日を過ごすことができました。
井上誠耕園さんの皆さん、ありがとうございました。来年も楽しみにしています。



【Report】多島海ツーリズム・大島

2009年11月22日


091121ak ooshima all1.JPG
21日、多島海ツーリズムが始まりました。21日は、大島日帰りプランと、豊島・小豊島2泊3日プラン、そして22日に男木島日帰りプランが開始されます。
大島プランの参加者は総勢15名。ほぼ高松在住の参加者となりましたが、わざわざ岡山から参加してくださっ方もいて賑やかなツーリズムとなりました。
コーディネーターは、高松を拠点にコピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍する人見さん。今年の3月に初めて大島を訪ねて出会った大澤さんに魅了されたことで今回の企画をプランしてくれました。
091121ak setumei hitomi.jpg091121ak setumei htomi up.jpg
参加者の皆さんへ想いを語る人見さん
高松から船で約20分で大島へ到着。やさしい笑顔の大澤さんが出迎えてくれました。大澤さんは、大島で福祉を担当されています。
091121ak oosawa setumei.jpg091121ak oosawa.jpg
大島は病院であることを理解して節度をもって訪れてほしいと語る大澤さん。
大島を知るには、まずは「ハンセン病」のことを正しく知ってほしいということで大澤さんの体験も交えて話していただきます。かつて誤った知識しかなかった為、多くの方が悲しい体験をしなければならなかったこと、そして、今でもその悲しみは大きな傷となって残っていることを知ります。
この後、「納骨堂」と「風の舞」を案内いただきました。
091121ak noukotudou.jpg
納骨堂は、明治42年に大島青松園が開園以来、園で亡くなられた2000名を超える方が葬られている場所です。
来年、瀬戸内国際芸術祭で展開される「やさしい美術」プロジェクトのアートディレクターの高橋さんは、約2年ほど大島へ通ってこられる中、大島へ来られた時に、一番最初に必ず行うのが納骨堂への参拝となっているようです。
091121ak kazenomai l.jpg
風の舞いは、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメントです。二つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられています。亡くなっても故郷に帰れない人が多かったようです。せめて死後の魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いが込められています。
091121ak kazenomai sora.jpg
この後、3つの教室に分かれて大島の方に学びます。
高橋さんから、大島で名人と呼ばれる3名の方を紹介いただきました。
「名人」とは、かつて大島小学校に通っていた子供たちが名付けたものです。大島には、陶芸が得意な方、写真が得意な方、野菜や川柳をつくるの得意な方など、様々なことで得意な分野を持たれる方がいらっしゃり、その方たちと出会った子供たちが、いつのことからか「名人」と呼ぶようになったことから始まったと伺いました。
今回は、山本さんから陶芸、脇林さんから写真、森自治会長から施設について教えて頂きます。
(続きます。)
091121ak sora.jpg
納骨堂からみた空、美しいです。