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多島海ツーリズム(日帰りプラン)大島

2009年11月11日

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日帰りプランに変更しました。
来年、瀬戸内海で開催される瀬戸内国際芸術祭の舞台となる2つの島(大島と男木島)を訪れます。
こちらは大島プランの紹介します。男木島プランはこちらへ。
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島々とアートの可能性〜国立療養所大島青松園〜」
日時/2009年1月21日(土)10:20〜18:00
費用/6,500円
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瀬戸内国際芸術祭の舞台の一つとなる大島では「やさしい美術プロジェクト」が展開されます。アートディレクターの高橋さんは、一年以上前から大島に訪れ、ゆっくりを時間をかけて島の方と交流を始められています。今回は、高橋さんが出会った大島の「名人」と呼ばれる方たちに講師になっていただき大島のことを学びます。
「名人」とは、かつて大島で暮らしていた子どもたちが、入所者の皆さんの様々な才能に触れて「名人」と呼ばれていたことから名付けられものです。
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大島は、香川県の県庁所在地・高松市から船で約20分の海に浮かぶ島。「国立療養所大島青松園」には、ハンセン病の治療を終えた方々が暮らしています。そこは、2010年に開かれる「瀬戸内国際芸術祭」の舞台の一つ。すでに「やさしい美術プロジェクト」のアートディレクター高橋伸行さんが島に入り、創作活動を開始されています。

今回のツーリズムは、大島の理解はもちろん、そこで展開されているアート活動を軸に、島の内と外(私たち)を結ぶ試みともいえます。ハンセン病と共に歩んだ、大島青松園の施設全体と島の景観を知りその体感を基に、私たちが瀬戸内国際芸術祭にどのように関わることができるか、そのことが大島と私たちの関係性にどんな変化を生み出す可能性があるのかを考えます。

(※やさしい美術プロジェクトとは、病院とアーティスト、デザイナーとの協働で 「安らぎのある医療環境」「地域に開かれた病院」を創出するアートプロジェクトです。)

 

■ プログラム1『大島を知る』

大島の歴史は、ハンセン病の歴史です。ハンセン病は、ハンセン氏によって1873年(明治6年)に『らい菌の体内侵入による慢性感染症である』ことが解ったことに因んで名付けられた疾患。1996年(平成8年)に『らい予防法』が廃止されるまでの間、日本はその患者たちを隔離する政策をとり続けました。大島は、その一つの場所す。現在、すべての患者さん(当時)は治療を終え、後遺症と高齢に伴うケアを主な目的として島に暮らしています。治療を終えているので、彼らは患者ではなく入所者と呼ばれています。

<先生:大澤宏敏さん/大島青松園職員>


■ プログラム2 『島で入所者に会う』

入所者自治会にて、入所者の方とごあいさつ。その後、「納骨堂」「風の舞」を参拝します。今も島に暮らす人たちにとって特別なこの場所で、これまで島に暮らしてきた人たちの存在に思いを馳せます。

 

 プログラム3 『名人講座』

治療を終えた後も島で暮らしている入所者を先生に迎え、3コースに分かれて過ごします。


★「Aグループ:森さん、野村さんと施設めぐり」

<先生:森和男さん(施設入所者/大島自治会会長)、野村宏さん(施設入居者/入所者自治会副会長)>

大島青松園の施設(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)を見学し、大島での暮らしについてお話を聞きます。

 

★「Bグループ:大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」

<先生:山本隆久さん(施設入所者/陶芸家)>

大島焼きのできるまでを映像で学び、その後ワークショップ「タイルをつくろう」に取り組みます。タイルは、瀬戸内国際芸術祭にて、カフェの内装に使う予定です。

 

★「Cグループ:脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」

<先生:脇林清さん(施設入所者/写真家)>

大島の自然を学び、その自然を記録し続ける脇林さんの写真作品の鑑賞をします。その後ワークショップ「大島の松を撮ろう」に取り組みます。松の写真は、瀬戸内国際芸術祭のギャラリーに展示する予定です。


■スケジュール

【当日の流れ】

1日目:1121日(土)> 【注意】昼食のお弁当、飲み物はご持参ください。

10:20 JR高松駅 コンコース内「DAITEMMAI」彫刻前 集合

詳細はこちらへ http://www.jr-eki.com/kakueki/takamatsu/index.html

10:30 高松駅改札2階に移動 オリエンテーション

詳細はこちらへ http://www.sunport.or.jp/guidance/index.htm

11:00 大島行きの船乗り場に移動

11:10 高松港発

11:35 大島着

11:45 プログラム1 『大島を知る』 開始(お弁当を食べながらの授業となります)

11:4513:00 大島の歴史と現状のお話/講師:大澤さん

13:0013:30 「納骨堂」「風の舞」を参拝

13:45 プログラム2 『島で入所者に会う』 開始

13:4514:10  入所者自治会にて顔会わせ。同時に「やさしい美術プロジェクト」の方とも、ここでお会いします。

14:1516:00 プログラム3 『名人講座』 開始


★Aグループ

「森さん、野村さんと施設めぐり」/講師:森さん、野村さん(施設入所者)

14:1515:20大島青松園の施設見学(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)

15:2016:00 大島での暮らしについてなど、お話をお聞きします。

 

★Bグループ

「大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」/講師:山本さん(施設入所者/陶芸)

14:1516:00 大島焼 窯出し、大島焼のできるまで(映像にて、採土から精製まで、土練りから本焼成までを学びます)その後、ワークショップ「タイルをつくろう」

 

★Cグループ

「脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」/講師:脇林さん(施設入所者/写真)

14:1515:30 大島の自然と向き合う〜脇林氏の作品鑑賞〜、ワークショップ「大島の松を撮ろう」

15:3016:00 作品発表会

 16:15 大島発

16:45 高松港着

   振り返りミーティング(自由参加)



【お申し込み・お問い合せ先】

NPO法人アーキペラゴ

TEL0878117707

MAILinfo@archipelago.or.jp

担当:片山(かたやま)

★保険加入の為、お申し込みには下記の記載事項の記載をお願いします。

●希望プログラム(AかB、Aの場合は3グループの内、いずれかを選択)

●お名前

●お名前(よみがな)

●メールアドレス

●〒

●住所(県名から)

●性別

●連絡先電話番号

【ご注意】

※1:昼食のお弁当、飲み物は各自でご用意ください。

※2:動きやすい服装でご参加ください。

※3:ンフルエンザの流行の程度によっては、大島に入る前に体調の自己申告を求める場合があります。あらかじめご了承ください。

※4:やむを得ない事情でツアーを中止する場合があります。ご了承ください。


■施設紹介

【体験の場 国立療養所大島青松園】

明治40319日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年722に日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40926日に設立申請を行い、明治41127日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治4241日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。

明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。昭和1671日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21112日に『国立療養所大島青松園』と改称した。昭和224月から、入所者に患者慰安金が支給された(昭和46年『患者給与金』に変更し、国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改められた)昭和24年から、スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され、治療による軽快退所が始まった。昭和274月、付属准看護学院が併設されて、本園の看護職員の確保対策となった。(昭和53年『付属准看護学校』と改称され、平成11331日に閉校となる。)

昭和288月、『法律第214号らい予防法』が公布、昭和294月から患者家族への家族援護が開始、昭和36年から不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替えられ、昭和48年から園内の患者作業が職員による作業に返還された。平成841日『らい予防法』が廃止され、新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるようになった。さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行され、入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や『退所』『再入所』に関する規定が定められた。

平成11101日までの入所者数3,923名、退所者数823名、園内死亡者数1,970名。入所者の療養生活は、プライバシーを考慮した個室(単身用・夫婦用)に入居している。園内の設備はあたかも村落のようであり、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設等を備え、ここのライフスタイルが生かされている。また、給食センター・電気・水道・洗濯・環境整備等に関する施設と職員配置により、入所者の生活サービスがはかられている。日常生活に介助を必要とする人々は、不自由者センター(老人ホーム・身体障害者ホームのような施設)に入居し、看護師の健康管理や介護員の生活介助を受けて快適な日常を送っている。健康管理や病気治療のために、外来治療棟・リハビリテーション棟・病棟があり、通院・入院による治療を受けている。このような種々の環境の中で、入所者自治会を核として機関誌(青松・灯台)の発行、クラブ活動(カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸等)が続けられている。これらの活動は、園内のみに留まらず、地元地域や他の組織団体との交流に拡大されてきている。(以上「国立療養所大島青松園」より抜粋)


 

 ■教室紹介

【大島】

庵治港の北西約2.5kmの海上にある。古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。もともとは2つの島からなり、砂洲でつながった。標高67.6mと小柄な山体で、中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合の大島療養所として設立された国立療養所大島青松園がある。青松園では、昭和6年から入園者自身による自治会(協和会)が発足しており、昭和563月には自治会50年史の発刊もなされている。2010年の瀬戸内国際芸術祭の舞台となる島の一つ。

 

【男木島】

高松港から船で40分のところにある島。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段(島の散策で歩きます!)は、男木島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(ご存知でしょうか?1957年に松竹が制作、公開した木下惠介監督の映画作品)の舞台になったところです。


 

■ 先生紹介

森和男さん   大島青松園入所者/自治会長

1949年入所。現在68歳。9歳で大島青松園に入所し、高校は島外に通ったものの、人生の大半を大島で過ごす。大島における「自治」とは、辞書通り「自分たちのことを自分たちで処理すること」であり、森さんの症状は軽傷であったことから自治に尽力された。1970年代あたりまでは、埋葬も自治会の重要な任務のひとつであり、仲間が亡くなるたび、山に薪を取りに行って火葬し、手を合わせた。「人がお位牌になるまで、28巻の薪が必要なんです」と話す森さんの表情は、深くてやわらかい。2008年より自治会長となり、先日も高松市で行われた「ハンセン病問題基本法施行記念 講演と映画のつどい」において、ハンセン病療養所の将来構想について積極的に意見を述べられた。

 

山本隆久さん   大島青松園入所者/陶芸部所属

1952年入所。現在76歳。山本さんの活動の拠点としている陶芸教室は、1989年に国の施策で大島にできたリハビリ施設のひとつ。その時に初めて陶芸が身近なものとなり、いまからおよそ10年前にそこで創作活動を開始。何も分からない状態からのスタートで、美濃市や瀬戸市などの窯元に見学に行くなどして、その世界を深めた。島内の山から土を掘り出し、ふるいに掛けてと、およそ10ヶ月もかかる土づくりから焼き上げまでのすべての工程を手掛ける。「陶芸が社会交流の一助になれば」という願いをもちながらも、「先生という立場ではなく、訪れた人と一緒になって私も学びたい」と知的好奇心はとどまるところを知らない。

 

脇林清さん   大島青松園入所者/写真家

1948年入所。現在78歳。キヤノンのカメラで8年前から写真を撮り始め、現在はニコンD200300を愛用。レンズなどのカメラ機材は、官用船で約20分、そこからタクシーで10分くらいのところにある高松市街地の商店街に自分で足を運び、選ぶ。島内にある「大島会館」の廊下では、毎週、脇林さんの新作が発表される。脇林さんしか知らない島内の撮影ベストスポットも。写真を極める一方、キリスト教に対する信仰が厚く、島にあるキリスト教会のひとつ「大島霊交会」の季刊誌「霊交会(大正8年から発刊)」の足跡をたどることをライフワークとしている。霊交会をつくったメンバーが、島の自治会もつくったという点に着目し、島の歴史を後生に伝えることが自らの大事なつとめと自認。

 

大澤宏敏さん   大島青松園職員

1960年生まれ。O型。20代、30代は、映像デイレクターとしてローカルCM、瀬戸大橋博覧会、高松市政100周年式典などの映像制作に従事。40代から福祉業務に転身し、現在にいたる。6年前から余暇を活用して、高松市美術館ボランティア「civi」のメンバーに参加。「次世代の美術ファン・将来の芸術家」の発掘を目的に、小中学生を対象にした美術イベント、ワークショップなどを企画・実施している。老後は「大人を慰める」絵本作家になるのが夢。

 


 

 



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